今日の日記

2002年1月17日
今日は一日ずっと君のことを考えていました。
こういうイベントがあると、しかも唐突にくると、なんだか面食らってしまいます。
もっと嬉しいものかと思ってましたが、意外に冷静でいられました。
これは君のせいじゃなくて、僕が年をとったってことなんでしょうね。
十代の頃ならもっとドキドキしたんだろうと思います。
いや・・・・・・・・・・・
果たして喜んでる場合なのかという懸念がもたげてきてプラスの感情を覆ってしまっているというのが本当でしょう。
これからどうなるのか不安な気持ちでいます。
でも感情は否定できません。
たまには感情に素直に従うのもいいことでしょう。
誰かのセリフでしたかね。
先のことを無用に思い煩うことを杞憂といいます。
昔の人も未来を恐れることの無益さをわかってたんですね。
せめて先人の明見は尊重するとしましょう。
いま新しいキャンバスが用意されました。
そこにどんな絵が描かれることになるのかはわかりませんが、描くという行為そのものが価値あるものだろうと思います。
素敵な絵がかけたらいいですね。
お身体をお大事に。

今日の日記

2001年12月30日
車はとっくに直った。
いまはもうすっかり日常の生活に戻っている。
あの後も随分と紆余曲折があった。
浮かんだり沈んだり右に行ったり左に行ったり追っかけられたり引きずられたり膨らんだりぺちゃんこになったり色々あった。
そういったことを一切合財全部書いてしまおうと勢い込んで始めたが早々に筆は止まってしまった。
いざとなると臆してしまってなにも書けない。
臆するというのは正確ではないかもしれないが、もっといい書きようがあるのではないか、こう書くのは余計なことではないか等等、多くの思惑が交錯して先に進めなくなる。
そうしてほったらかしにしているうちに細部の記憶も薄れ再現不能になった部分も多く、いまでは遥か遠くの出来事として俺の中にある。
もうどうでもよくなってしまった。
つくづく書くってのは難しい。
このことについて再び俺が書こうとすることは恐らくもうないだろう。
書けるときに書かねばもう永久に書けなくなってしまう。
この次からはもっとうまくやろう。
うん、もうどうでもいい。

今日の日記

2001年12月11日
続き

M8:10頃
状況はさして変わっているとは言えない。手に持っている携帯をじっと見つめながら、どこに電話するべきか考えた。まず頭に浮かんだのが、いつも世話になっている修理工場だった。いままでにも車が壊れたことは何度もあった。しかしそれはいつもごく小さなトラブルで、とりあえず自走で工場に持ち込むことに成功していた。道路上でまったく動かなくなってしまうというのは初めてのことだった。果たして来てくれるだろうか? そんなことを考えながら番号をかけようとする・・・・・自分の携帯なら番号が登録してあるがこれは他人のだった。俺は番号はもう忘れている。車内に番号をメモしたものがないか探す。あった。車を買ったときに店のパンフをもらった。それに修理工場の地図と電話番号も書いてある。番号を押して発信。出ない。当たり前だ。こんな早い時間から出勤しているわけがない。俺にしたって現に通勤途中だったのだ。いまはまだ始業時間ですらない。どうするか? パンフにはそれ以上の情報は書いてない。小さなところだから運営は結構いい加減かもしれない。想像以上に開業時間は遅いかもしれない。今日は休みという可能性だってある。電話がつながるまでここでこのまま待つか? バカバカしい。第一の望みは絶たれた。世の中すべて自分の思い通りにことが運んだら世話はない。俺は引き続き考える。さて。
AM8:20頃
一般にドライバが車が壊れたときにどうするか、どこに頼るか。それはドライバでなくても知っている、JAFの出張サービスに依頼することだ。問題がある、と思った。俺はJAF会員ではない。会員でなくてもその場で入会すれば対処してくれることは知っている。入会するにもとにかく金がいる。この際それは横に追いやっておくべきだ。現在の状況をなんとかするのを優先させなければ。JAFに決定だ。しかしJAFの電話番号がわからない。車内にJAFに関する情報が皆無なのはわかりきっている。ここでも頼みの綱はこの携帯だけだ。104に電話した。携帯から104にかけたらいくらかかるんだろう、とふと思った。携帯を貸してくれた彼の顔が脳裏を過る。いつもニコニコと笑っている人のいい人物だ。通りがかったのが彼だったことも幸運のうちの一つだったのだろう。JAFの番号はわかった。しばらく待って気持ちを落ち着ける。初めてのところに電話をかけるのは俺でなくたって緊張するものじゃないか? 大体が俺は普段は電話は滅多に使わない。最初は女性の声が出た。何度か保留待ちされる。最後につながった相手に自分の場所を説明する。地図を見ながら相手に伝える。電話はやっぱり苦手だ。どうも気持ちがうわっついてしょうがない。冷静に話すってのはまったく難しいものだ。見も知らぬ相手なら尚更だろう。到着には40分かかるという。わかりました、と俺は言って電話を切った。深呼吸する。ひとまずの仕事は終わった。40分。最低で40分だ。その間俺はなすすべもなくここでじっと待っていなくてはならない。開き直ってしまえ。
AM8:40頃
気持ちは逸る。が、どうすることもできない。俺は無力で無能だ。何もせずにじっと車の中に身を潜めている。こんなことをしている場合なのか、こんなことをしていていいのか、ほかになにかやるべきことがあるのではないか。様々な思いが交錯する。カラダが弾け飛んでしまいそうな瞬間がある。何度もある。そのたびに自分を抑えるのに苦労する。知らず奥歯を強くかみ締めていた。ずっとだ。道理であごが疲れるわけだ。俺は1時間ほど前に「仕事に行く時間だ」と言った。あいつに言った言葉は嘘になってしまった。俺は仕事なんかしちゃいない。もうとっくに始業時間は過ぎている。今日はサボったのと同じことだ。俺は嘘吐きだ。随分と偉そうなことを言ったものだ。あのまま自宅でPCの前にずっと座っていたって構いはしなかった。仕事よりそのほうが楽しいんだからな。どっちにしたって今日の分の給料は引かれる。皆勤も飛んだ。それ以上に車の修理代だ。ああ・・・・・・・
AM9:30頃
来た。担当者は一人。五十がらみの気さくな感じの男性。毎日が初めて会う人と大勢接するという仕事ならそういう性格のほうがいいのだろう。こちらとしてもありがたいことだ。会員でないことを最初に説明する。別にあとでもよかったろうが早く厄介ごとは済ませたいという貧乏根性がはたらいたのかもしれない。こういうやりとりは詳しく書いてもいいものだろうか。とりあえず手続きを終えて作業に入ってもらう。単純なトラブルなら作業員一人でも解決できるだろうがエンジンまわりの故障とあっては修理ドックに持ち込む必要があるのでレッカー移動するとのこと。行き先を決めなくてはならない。JAFの修理工場はあまり考えたくなかった。単なる印象に過ぎないが余計な金がかかりそうな気がしたからだ。レッカー移動だけでも金を取られるというのに。次は俺のかかりつけの修理工場だが連絡のとれないまま持って行くわけにもいかない。距離も遠いしな。会社に出勤しなければという考えが湧く。会社に持って行ってもらうか? ここからならそれほど遠くもない。だがそのあとはどうする。会社まで修理の人に来てもらうのか。同僚やらその他知らぬ人々の衆人環視のもと修理してもらうのか。大体今日一日で直るという保障もない。結局自宅まで引き返すことにした。方針さえ決まれば行動は速い。さすがに手馴れた様子でスムーズに大胆に進めて行く。プロだな、と思う。大きなパイロンがドカドカと置かれ殆ど一車線が塞がれる格好になった。こういうことが認められるのもJAFの権威あってこそのものだろうか。作業車の助手席に乗るように言われ、道案内を頼まれる。視界が高い。普通のトラックと乗り心地は変わらない。道中懇々と入会していなかったことについて諭された。ほかに話題がなかったせいでもあるが。初めての人との会話では話すことなど少ない。道はもう混んではいなかったので割合早く到着した。車を動かせないので俺が乗って後ろを押してもらう。駐車場に入れた。出勤する前と同じ光景になったが、いまここにあるのはただの鉄の塊だ。なんとか早急に状況を復旧させなくては。JAFの仕事はここまで。作業車は立ち去った。あとは自分でなんとかしなくてはならない。
(切り)

今日の日記

2001年11月29日
経過記録

11月27日

AM6:30頃
起床。いつものごとくPCの電源を入れる。いつものごとくいつものチャットにアクセス。いつも話してる相手がいたのでいつものごとくに無駄話に興ずる。
AM7:20頃
「そろそろ仕事に行く時間だから」とかまっとうな社会人のような発言をしてPCを閉じる。もちろんこのときは自分の言葉の正当性を微塵も疑ってはいない。毎朝仕事に出かけるというのは、当たり前以上に当たり前のことだった。
AM7:30頃
出社。車に乗り込んでエンジンをかける。寒い朝。暖気に二分かけてスタート。もともと中古で古い車なので耐久性やら性能やらに不安があるのはいつものこと。不安というより懸念といったもので気にしないようにする。それもいつものこと。
AM7:40頃
交差点で信号待ちしてるときにそれまで重低音だったエンジン音が急にフィルタをかけたように高音に変わる。背中に冷水を浴びたような感覚。瞳孔が一瞬開くのがわかる。だが数秒でもとの低音に戻る。一安心してそのまま信号を右に曲がって先へ。思えばこのときが一日で最も劇的な瞬間だったのかもしれない。物事というものはなんでもあとになってみないと正確に近い評価はできないものだ。
AM7:50頃
丘を駆け上がる急な坂の途中でまたしてもエンジン音が異常に。今度はリアクションをとる間もないほどあっという間だった。警告灯が点きブスブスストンという感じでエンジンが止まる。慌ててクラッチを切り、ハザードを点灯させ路側へ。路側といっても狭い道なので車半分車道へ乗り出している。ラッシャアワなので後ろには長い車の列。それでもなんとか追い抜いて行ってくれてる。ドライバはみんな渋い顔をしてたろう。あとで気づいたがちょうど坂の頂上にあたる場所で止まっていた。幸運だった。坂の途中ならエラいことになってたかもしれない。ただでさえ古い車なのでサイドブレーキも効き辛くなっていた。頂上だったからサイドを起こす必要もない。ともあれ車を降りてフロントのボンネットを開く。知識がないのでどうもできないが何もしないでいるということにも耐えられない。通学途中の高校生の自転車がじろじろとこちらを見ながら通り過ぎて行く。彼らに他意はあるまい。高校生というのはじろじろ見るものだ。少なくともそのときの俺はそう思った。エンジンまわりを見た感じでは特に異常はないようだった。不審に思ったがもしかしたらまだ走るかもしれないと考え、座席に着いてエンジンキーを回す。バッテリが少ない? 回りが奇妙にゆっくりだった。どうにか回った。途端にフロントから白い煙が上がった。車内にゴムを焼いたようなイヤな匂いが漂う。慌ててキーを戻す。煙というのは決定的な迫力を持っている。完全にイカれた、もう動かない、と絶望に似た確信が来た。携帯を持っていなかったのが絶望感に輪をかける。ほとんど使わないので持っていても煩わしいだけだと思っていたが、瞬間的に今後は携帯を肌身離さず携帯しようと固く決心する。なるほど、だから携帯というのか、と妙な得心があった。決心したところで状況に変化があるわけでもない。車の列は途切れることなく後ろから襲ってくる。トランクから非常標識を取り出してセットする。故障であるとアピールしたかったのかもしれない。特に意味のある行動ではなかったろう。開いたボンネットの両側に腕をかけてエンジンルームを睨みつける。無論なんの打開策もない。どうしていいかわからないのでじっとしたまま動かない。昔テストのとき全然わからない問題を睨みつけていたのがこんな感じだったかもしれない。とりあえず考えているふりだけはするものの時間は虚しく過ぎて行く。誰に対してのフリなんだろう?
AM8:00頃
同じ姿勢でずっとエンジンルームを睨んでいる。このときどういうことを考えていたのかはあまりよく覚えていない。多分どうでもいいことだったのだろう。或いはつとめて冷静になろうと必死だったのかもしれない。こういうときは時間の経過は認識し辛くなるものらしい。車の中にいれば寒風はしのげるだろうに。そんなことすら考えが及ばない。
「どうしました?」
背中から唐突に声がかかる。油断していたのでビビる。というよりこんな状況下で誰かと会話する可能性は万に一つもあるまいと考えていた。一体何者だ? と振り返って納得する。同じ会社の同僚だった。今日まで知らなかったが彼も俺と同じ道を通勤していたわけだ。ほかにも何人かそういう人はいるのだろう。それはあってもいいことだ。俺と親しくない人も含めて。渡りに舟という言葉を思い出した。昔からある言葉だ。昔からこういう状況に陥った人は大勢いたということだ。俺だけじゃない。俺が最初でも最後でもない。少しは気が紛れた。少々うろたえながらも彼にとりあえずの経緯を説明する。唐突ではあったが救いの手が差し伸べられようとしているのだ。くだらない言動でチャンスを逃すわけにはいかない。俺はどちらかといえば他人の協力というものを遠ざけようとする傾向がある。だがいまこのときばかりはどうあっても自分の力だけではどうにもならないことは身に染みてよくわかっている。ついぶっきらぼうに、無愛想になってしまうのが俺の持ち前だがそれが出てこないように意識しながら話すのは結構疲れるものだ。「大丈夫です。なんとかしますから」なんて言い出すんじゃないだろうか。自分で自分にハラハラする。どうやらわかってくれたらしい。「携帯ありますか?」という俺の問いにすぐさま取り出し、俺に差し出してくれた。俺は、ありがたい、としか思わなかったが、エンジンが壊れたときが負の劇的瞬間だとするなら、このときが今日の、正の劇的瞬間だったのかもしれない。やっぱり後になってみなければ物事の価値というものはわからない。すべてはここから動き始める。そのためのハードウェアが、いま確かに俺の手の中にある。これさえあれば。あとは俺一人でも大丈夫だ。彼に、俺の事情を会社に説明してもらうように頼んだ。とにかく定時出勤は間に合わない、ひょっとしたら今日は休むかもしれない。電話がある以上それは俺が自分でも通告できるし、またしなくてはならないことなのだろう。しかし、トラブルの最中にあるいま、面倒なこと、考えるべきことはこの際一つでも減らしたほうが安全だ。彼は去った。俺はようやく冷静さを取り戻したようだ。寒い中ずっと外に立ちっぱなしだったことに漸く気づき、いそいそと車内に入る。さて。
(切り)

今日の日記

2001年11月26日
結局掃除はできなかった。
なんてこったい。

知ってる人はとっくに知っていたという事柄がある。
新鮮な興奮のピークを過ぎたらそのことについて殊更騒ぎ立てたりなどしない。
皆がそう静かにしていればその事柄に関する世間的な動きはないも同然であるので、表面的には誰も知らないことであるかのように見えてしまうだろう。
実際に時間が経つうちに忘れ去ってしまったという人もあるかもしれない。
そして時間が経った後、多くの場合は若者であるだろうが、誰かによってそのことがまた新たに”発見”されても、既に知っている人は、「ああ、あれか」と冷静な反応を示すに留まるだろう。
再発見した人々と同様に興奮しないのは、それが彼らにとってすでに過去のものであるからに過ぎない。
それは別に、理解していない、ということではないと思うのだが・・・・・・・・

なんとか今日も間に合ったか。
毎回毎回どうしてこんな時間のない状況にならなきゃ書けないかな。
さて、仕事行こう。

今日の日記

2001年11月23日
悪夢を見た。
どんな内容だったかはもう忘れた。
有難いことだ。

忘れるってのはいいことだ。
忘れることでその事柄がどうでもいいランクまで下がってしまう。
忘れることで前に進むことができる。
いまのほほんとした気分でいられるのも、過去のことを全部忘れたからだ。
昔の自分は今の自分とは別人、まったく関係ない奴だから。

今日から3日間連休。
掃除でもするかね。

今日の日記

2001年11月22日
ここ数日ずっとオフライン作業。
今日もインストールインストールインストール・・・・・・
おかげでかなり回復してきた。

それはさておき。

今日からジャンパを着る。
やはりこれだけで結構違う。
肌寒さを感じない。
まだ11月だしもう少し粘ろうと思っていたが体の要求にはさからわないほうがいいらしい。
三寒四温って秋にも言うんだっけ?

俺はどうも変に拘るところがある。
こうした日付に関するけじめ(?)もそのひとつで、厚着するのは12月からとか、靴を替えるのは週明けからとか。
ほとんど意味のない拘りだし、こだわったところで得るものは少なく自己満足にすら及ばないことも屡。
それでも昔からこういう癖はなおらなくて、ようやく一つの拘りを捨ててもまた新たな拘りを抱えてしまったり。
誰でもある程度は持っている習性なんだろうとは思うけど。
梯子の下は潜らないとか、霊柩車を見たら親指を隠すとか、虫の死骸を見かけたら手を合わせるとか。
はたまた、TVの音量は20以下とかガソリンはEの字の真ん中に針が来るまで入れないとか本を買ったらすぐ近所の喫茶店で読み下ろすとか。
くだらない拘りばっかりだ。
なにか見返りがあるわけでもなかろうに。

書くこと考えてるうちにもう朝だよ。
そろそろ仕事行かなきゃな。

今日の日記

2001年11月18日
昨日今日とずっとPCの前に座っている。
なにをするというわけでもなく非生産的な時間だけが過ぎて行く。
外はいい天気だ。

客観的には俺の姿は退廃的に映るのだろうか。
自覚は全くない。
確かにずっと部屋の中にいて不健康かもしれない。
しかしPCを通じてほかの人とのコミュニケーションもとれている。
友人がいないとは思わない。
ネット依存?
学校依存、会社依存、ゲーセン依存、ライブハウス依存、碁会所依存、ゲートボール依存とどう違うと言うんだ。
ネットに関わりすぎるとそれなりに問題であるような気はするが・・・・・・・・


今日はうまく言えねえ。
風呂入って洗濯するか。

今日の日記

2001年11月17日
現状は現状として認識しなければならない。
周りは既に動き始めている。
俺一人だけぐずぐずしてるわけにはいかない。
この際俺の個人の事情は無視するべきだろう。
昨日の俺は死んだ。
そう思わなければ。


時計の針は元に戻らない。
頭ではわかっていたはずなのに、いざ現実にその事態が現出するとついうろたえてしまう。
人間だからな。
慌てるのはしかたない。
ただ切り替える時間が長いのはまずい。
一晩あればじゅうぶんだろう。
せめて2時間。
できれば30分くらいがいい。
そう、飯でも食ってるうちに忘れられるように。

そういえば腹減ったな。
なんか食うか。



今日の日記

2001年11月16日
「ショックが大きい・・・・・・」
今日はもう何度この言葉をつぶやいたことか。
呪文のように、歌うように、何度も何度も同じセリフを繰り返す。
いつか喋っていることも気付かない。
終いには意味もわからず口にしている。
きっと幽霊のような表情をしていたに違いない。
抜け殻のように。
フラフラと漂う。
自分がいまなにをしているかわからない。
ある種、危険な状態だった。


こういうときは前向きな気持ちは失せる。
向上心とか、上昇志向とか、明日への希望とか、生産的な感情がすべて消滅してしまう。
自分にはそういう資格はないと考えてしまう。
身体の動きが完全停止してしまった感じ。
体温が下がって行くのがわかる。
鉛のようだ。

こういう気持ちになるのは初めてじゃないが、いつまで経っても慣れないね。

今日の日記

2001年11月14日
自炊。
かけうどんをつくる。
一玉じゃ足りないと思ったので二玉入れた。
丼に移して驚いた。
見たこともないほどの大量になってしまった。
食いきれるかどうか自信はない。
が作った以上は食わなきゃならん。
実際しんどかった。
とにもかくにも全部食べ尽くした。
食ったあとすぐ横になってしばらく動けなかった。
食事で辛い思いをするのは悲しい。
味なんかわからない。
勿論俺は料理は下手だからマズいに決まってるが。
そういう意味では運が良かったのかもしれない。
そもそも晩飯は俺は腹を抑える程度にしか食べないようにしているのだが、今日は魔が差したとしか思えない。
明日からは一玉だけにしよう。
大体毎日こんだけ食ってたら金が続かん。
ただでさえカネがなくて日頃困ってる。
もっと給料上がってほしいもんだ。

一人暮らしというのは経済的にはかなり効率が悪いように思う。
なにしろムダが多すぎる。
しかしムダにカネをかけなければ必要なものも手に入らない。
悪循環だ。
生活の達者な人なら俺と同じ収入で豪勢な暮らしができているのかもしれん。
つくづく俺は生活と言う奴が不得手だ。
興味がないせいかもしれないが。

丼とナベ寝る前に洗わなきゃな・・・・・・・・・


今日の日記

2001年11月13日
休憩所に入る。
人が一人いる。
特に仲がいいでも悪いでもない人。
あまり喋ったことはない。
だから今日も特になにも喋らない。
黙って二人タバコをふかす。
約三分間そうして黙っている。
相手が先にタバコを吸い終わった。
相手が先に立った。
出て行くとき一つ咳払いをした。
俺は猛烈にたまらない気持ちになった。


10代の頃はこういう感情をコントロールするのに苦労した。
最近ようやく余裕をもって対処できるようにはなったものの、やはりこういう空気は苦い。
恐らく永久に解決し得ない問題ではないか。
もっとも、考えようによっては全然大した問題じゃない。
この程度のことを深刻に考えすぎるからややこしいことになるんじゃないか。
流せることは適当に流すべきだろう。
そう、思う。

もう忘れる。
午後の日差しが暖かかった。

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